問題意識、そして基調理念

【日本の行末を案じて】

わが国の政治状況は、政局より政策論議を優先すべきと言われ続けながら、未だにまともな政策論議が十分にはなされていない状況が続いている。一方、政策と言うには浅薄すぎる扇動的言動が、刺激を求めるメディアや国民にもてはやされ、政治家までもが煽られている始末である。致命的なのは、政策が本質から議論されにくくなっていることである。本質的なことからきちんと物事を考え、その場限りではなく10年、20年、30年といった先まで考えるていねいな議論が行われていない。思考基準を市場原理や効率のみに狭め、その狭小な価値判断で物事を仕分けていれば、当然思考は雑になる。また効率にはスピードが求められるから、時間をかけての議論は疎まれることになる。

こういった状況の中で、政治家たるもの、人気取りから離れて、地道に議論した政策を打ち出さなければ存在の意味がない。誰かに頼り、リーダーシップというものに頼ればいいというものではない。政治家一人ひとり、本来の役割を果たさなければいけないと自省する。

また、政権が代わっても今の衆議院、参議院の状況では必ずねじれることになる。政党を超えた効果的な政界再編がないと安定しない状況にある。政界再編の軸となるものは、単なる数合わせでもいけないし、リーダーの問題だけでもない。当然のことながら政策を中心としたものでなければならない。

そこで参議院の意思として、そのためには参議院の過半数の賛同が必要だが、今後、政権が代わろうが、総理に誰がなろうが実行されるべき政策、大きな枠組みの中で日本はこういう方向で行くべきという政策、すなわち「まっとうな日本を考える」問題意識と政策を明らかにしておく必要がある。


【問題の根幹にあるもの】

単純明快すぎて誰をも思考停止にさせる「改革」という言葉も、「チェンジ」という言葉も極めて安易に使われている。市場原理や競争原理の下で金額の多寡のみが問題とされる。言い換えれば効率的かどうかということだけに焦点があたる。この効率も、長期的かつ総合的視野で考えずに、あくまでも目先の効率だけのことが多い。こうした効率化を進めるために必要とされる規制緩和が進められてきた。

社会には本質的に市場原理にそぐわないものがあるし、効率とは別の価値観で見なければならないものもある。規制はもともと弱者を保護したり、安全性を担保するためのものである。それぞれの分野で効率化をはかることも必要だが、それは広い視野と先々のことも視野に入れての効率でなければならない。また、規制する意味を吟味し、時代の移り変わりの中で修正していくことも必要であろう。それを見極めるにはていねいで根気強い作業が必要だが、なかなかそういったことがなされていない。

また本来、様々な人間がいて、様々な活動があるのだから多様な価値観があるはずなのだが、それをたった一つの基準で仕切ろうとすれば必ずしもうまくいかないこともおきる。これではこの社会でうまく生きられない者も増え、閉塞感が蔓延しない方が不思議である。多様な価値観の下であればいくらでも生きる道があるし、問題の打開策もあるはずなのに、相変わらずの市場原理や効率化だけで対処しようとするから混迷は深まるばかりである。

その結果が地方の過疎化を生んだとも言える。地方に人が住まなくなり、住めなくしたのだ。人口も資産も都市に集中させれば効率がいい、と市場第一主義でやってきたから国土利用に極端な過密・過疎が生じてしまった。日本という国を効率よくするためにこれでいいという評価もあるかもしれないが、経済効率が悪いからと簡単に切り捨てていては、国民を不幸にするばかりでなく、日本の自然・国土を視野に入れた国土管理の上でも支障を来す。市場第一主義ではムダと言われる所でも大局から見たら重要な役割があることもあるのだから、どこででも生きられるように、これからは価値観を変えていく工夫がいる。


【国民が憲法を作る重み】

もともと日本はこんな国ではなかった。小さな島国で、他国の大きな侵略を受けずに自立の道を歩んできて、国内では領地争いもしたし権力闘争もあり、自然災害にも見舞われ大変なことも多々あったが、個人の力、共同体の力で乗り越え、江戸・明治と引き継がれてきた。永い歴史・文化はまさに先人の知恵の塊である。国、国家、国民、そういったものが今成り立っていること自体がこれまで積み重ねてきた日本の歴史そのものである。

そこには日本の風土とともにあって、通奏低音のように日本人の心に鳴り響いていた何がしかの価値観、規範意識、「こうありたいね」といった暗黙の了解があった。それが普段はムダと思われる付き合いをいざという時の共助にする役割も担っていた。そういう国家としての規範意識ともいうべきものが、日本という国では結構立派に育っていたのであろう。だから近代国家になる時も、ものの見事に対応できて、あっという間に先進国に躍り出ることができたのである。

それがいつの間にか自立心を失い、他人や外国の目ばかり気にする国民になってしまった。多分、日本史上初めての敗戦、占領を体験し、主権を失う体験をして、日本人の自信を取り戻せないまま、日本人が培ってきた規範意識が歪められたまま、今に至っているからだろう。経済的には戦後を乗り越えたが、心は占領されたままにある。この状況を乗り越えるためにも憲法改正が大きな意味を持つ。

近代国家として憲法が成文憲法である必要があるかないか議論の余地があるとしても、日本は明治になって憲法が作られ、今に至っているのだから、今さら憲法がない国には戻れないだろう。だとすれば、国民が自らの意志で日本という国はこう考えましょう、と過去の歴史を踏まえてきちんと明示しなければならない。

現憲法の内容の良し悪し以前に、自国の憲法を自国民が作るという重要な意味をもつ手続きを経ていない。ましてや占領下において憲法が作られてはいけないという国際条約の定めがあるにも関わらず、占領下の憲法をそのまま押し戴いているところに日本の根本的欠陥がある。国民がこうした歴史の過程を十分認識せずに今日に至っている。まずはこうした事実を知った上で、どうあるべきかの議論が必要である。  

そこで、国を守る、自らを守るにはどうしたらいいか考える中で、例えば日本における米軍基地はどうするのか、自衛権はどうあるべきかという話が出てくる。それをきちんとした政策にしようと思えばいろいろな段階があって、一気に理想に走ればいいというわけではないが、いろいろな項目について一つひとつ原点に返って考えていくことが必要である。決められない、スピードが遅いと言われても、そこを飛ばしてはいけない。


【日本の一次産業の重み】

こういった国の根幹に関わることは当然ながら、国家のあり方を考える時の価値判断として、安ければいいとか、効率至上主義とか、早ければいいといった価値基準から離れる必要があるだろう。地方は地方で心豊かに住めるための政策を作るべきだし、それが可能となる産業政策もやるべきだし、国家の予算の付け方もそういう方向へもっていくべきだろう。

日本人がもっていた価値観を大事にして、そういうものを基調にした日本の国土における住まい方を工夫して過密・過疎を解消する方向へもっていく。そこで地方における産業を成り立たせようと思うと、やはり一次産業を根底から見直す必要があるだろう。

日本はアジアモンスーン変動帯にあって脊梁山脈と裾野しかない極めて特徴的な国土を有する。地震、火山、土砂災害、洪水氾濫といった自然災害が宿命のようにある。その代わり沃土に恵まれて植物の生産性は高い。しかし、その生産のための維持管理には大変な労力と手間がかかる。日本の農林漁業は長い間、国土保全、自然保全をやりながら生産してきた。生産しながら国土保全、自然保全を維持してきたと言っても良い。だから共同体という共助の精神が醸成された。

大災害を乗り越えてこられたのも、日本の農業、稲作の水田社会が築いた互助精神があったからだろうし、それが日本の祭り・行事になって引き継がれ、それが自然との共生にもつながり、先進国では例を見ない生き物の多様性、二次的自然を維持してきた。日本の農業の価値を米の価格だけで見ていたら、国土も日本のアイデンティティも脆弱になる。それをどう見るか、知恵を出し合って考えるべきだろう。

林業も林業だけを考えて維持すべきものではない。大体、森林は地球を覆っていた二酸化炭素を固定し、代わりに酸素を排出し、オゾン層を作り、森林が内陸に広がって生物多様性を創出し、人類までをも出現させた。現在の地球環境は森林が地上を覆っていることにより維持されている。人類はそれを減らして都市を作り、何億年もかけて地下に埋めた二酸化炭素を地上に引っ張り出して地球温暖化問題を起こしている。これは本来、地球の歴史、森林の歴史に逆行する行為とも言える。

とはいえ、熱帯雨林の減少問題とは違い、日本では戦後の植林により山は今、緑で満たされている。江戸時代のようなはげ山はどこにもない。今は間伐・除伐の時期である。そこで生産効率を上げて木材自給率50%を目指すと言うが、多くの困難な問題もある。森林は伐採しても再生する持続可能な資源・エネルギーである。ただ、森林は太陽エネルギーだけを資源とするので生産には時間がかかるし生産性も低い。林業が儲からないのは当たり前である。しかし森林は都市にきれいな水や空気を送ることができるのだから、都市は森林にお金を入れて当然という考えも成り立つ。こういった本質論からの議論も必要ではないか。

これは一つの例だが、いろいろな産業について見直し、地方が暮らせるようにすることを最大限工夫せねばならない。また当面の大きな問題として、デフレからの脱却が必要である。これも国家の病気と言って良い。対症療法だけではなく原因治療もしていかないと解決しない大きな問題である。


【市場第一主義との決別】

3.11の大震災では「想定外」という言葉が批判を浴びた。この世の中に絶対安全などないのだから想定外というものは当然ある。それでもできるだけの安全策を取ろうとすれば、自然災害が宿命としてある日本の自然と人間の関係について深い考察が必要となる。

本来、人間社会には多様な目的があり多様な生きる道がなければならない。それは単に経済効率だけでは計れない。一見ムダに見えても後に役立ち、良かったということは数多くある。邪魔なものを排除して、より良いものを作っていこうとするだけでは、短期的に成功しても長期的には失敗するというのが人類の歴史の教訓ではないだろうか。

我々は市場第一主義、効率優先の誤りを学習した。そういった単純な価値判断とは一線を画し、しかし、単に昔へ戻ればいいというのではなく、一つひとつの項目について英知を発揮し、ていねいな議論を重ね、今の日本はこういう政策をやるべきだということを提言したい。



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